核抑止が出来てこその核兵器廃止運動

核兵器廃止の運動はその必要性、理念は理解するが、優先度を考えると自国が核攻撃を受けないことより高いとは思えない。
長崎への核爆弾使用以来、幸運にも使用されていないが、垂直的(核保有国の核弾頭数)も水平的(核保有国数)も増加し続けている。また、核兵器の小型化が進み、「使える核兵器」の研究も進んでいる。テロ集団、テロ国家への核兵器の流出も懸念されている。今は何より北朝鮮による核搭載のICBMの脅威が世界の脅威となっている。
そのような状態で我が国をどのように守るかが問われている。核、非核を問わず、ミサイル攻撃に対しては日本はあまりに無力だ。相手国がいくら日本を攻撃しても、日本側からは領海領空を超えたところへは反撃が出来ない。盾はあっても鉾は無い。鉾はアメリカに頼らざるを得ない。アメリカは日本の首都東京に核爆弾を落とされれば、反撃はするだろうが、北朝鮮が仮に日本を威嚇するため山村にミサイルを落とし、20人程度死傷した時にどのような反撃が出来るだろうか?
独立国なら日本は自国の防衛を他国に依存してはならない。特に核やミサイルでの攻撃には、抑止力には相手国がそれ以上の攻撃を受け、被害を被るという認識がなければならない。仮に「米国がアメリカファーストになり、日本の防衛に米国青年の血は流さないだろう」との認識を北朝鮮が持てば日本は全く怖い国ではない。どういう形であれ日本を核で攻撃すれば核の報復があると信じるに足りる状況を作り出すことが必要だろう。報復のためのボタンは日本の意思で押すことが出来なければ核抑止が効いているとは言えないだろう。
核兵器を否定するために核兵器で守らないで核攻撃を受ければ、核兵器を持たない国が日本の轍を踏まないように次々と核武装することになるだろう。